一般的によく言われる贅沢は、お金を出せば買えると言う事になるが、贅沢の価値観は人によって異なる。
何に対して贅沢を感じるか。
家一軒分のお金を払って車を買う事。とびっきり美味しい高級レストランで食事をする事。それも当然ありだが、私のような庶民には程遠い。ならば庶民である自分が何に贅沢を感じるか、それは時間の使い方だ。
今日は友と野へ出かけた。
暑いこの7月の終わりに、長袖でも過ごせるぐらいの涼しさで時折吹く風が心地いい。目の前には川が流れ、水の流れる音とヒグラシの鳴き声が何とも涼しげだ。
勿論コンビニなんて近くに無い、水が無くなったら川でくみ濾過して飲む。そんな不便もまた楽しい。
友は今晩のおかずにと、アマゴを釣りに出掛けた。
釣りは現代において、一番手軽な自給自足。しかし戻ってきた友の手には釣り竿しかなくアマゴがいない。
「あれ、アマゴは?」
「うーん、釣れたけど逃がした」
魚は泳いでいなかったようだが、目が泳いでいる。そんなバレバレの嘘もまた楽しい。
気が付くと友は、上流に上り疲れたのか昼寝をしはじめた。
自然の中で思うがまま、気の向くまま行動し、何もしない時間が流れる。そんな時、自分は何て贅沢な時間の使い方をしているのだろうと思う。
自分の住んでいる所は町中ではないが、周りにはいろんなお店がありショッピングモールがあり、不便な事は何一つない生活をしている。しかし物足りなさを感じてしまい野へ出かけてしまうのだ。 用は「無いものねだり」ってやつだな。
野で過ごす楽しみの一つは、料理を自分で作ること。
友は一羽の鳥を丸ごと焼き、スパイスだけでカレーを作る。多分家ではあまり料理なんてしないのでは、と思うが野では違った一面を見せ楽しませてくれる。
ウイスキーを飲み過ぎたのか、友は眠りに入り楽しい宴が終わり一人の時間が訪れる。
焚火をしながら何もしない時間を過ごす。
ただ薪をくめるだけの作業をし、揺らめく炎を眺めながら最上級の贅沢な時間が訪れる。
何も考えずに、ただ薪を燃やし続けるだけ・・・。
不便が楽しく、贅沢を感じるのって考えると何か変だが、自然の事を考えるにはとても有意義な時間の使い方でもある。
山を見ながら木の事を考える。川の流れ、蛍の放つ光を眺めながら生命を感じる。
そして食べるものも、なるだけ自然のものを食べたいと思うようになってきた。
大きく言えば星空を見上げ地球の事、環境の事を考えたりもする・・・。
今頃ジジはどうしているかな。
ランタン消して寝ます。
おやすみなさい。
ジジのパパ🐈